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2019年6月12日 : ニュース

『働く女子と罪悪感』浜田 敬子著


(2019年6月9日熊本日日新聞参照)
 上野千鶴子が読む ◇うえの・ちづこ 1948年富山県生まれ。社会学者 認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長。著作に「家父長制と資本制」「おひとりさまの老後」「時局発言!」など多数。

 「自分を生きる」自由を持つ
 週刊誌『AERA』元編集長、50歳で転職して今は「ビジネスインサイダージャパン」の統括編集長を務めている浜田敬子さん。本著のタイトル『働く女子と罪悪感』を聞いただけで、女は働くこと自体に罪悪感を持たなければならないのか、と暗澹とする。今では女性が働くことはあたりまえになったように見えるが、それでも「生活のために仕方なく働く」のなら許されても、生きがいや達成感のために働くのは、「ぜいたく」「わがまま」と言われなければならないのか、と。
 浜田さんは管理職になった日、周囲に自分と同じようなワーキングマザーがたくさんいることに気づく。そしてそれまでなぜ気が付かなかったのかと自問して、自分を含めて女性たちが母親であることの「気配を消して」働いてきたことに愕然とする。その結果、女性の背負った家庭責任は「見える化」されず、なかったことにされる。
 わたし自身も参戦した1986年の「アグネス論争」こと、子連れ出勤論争を思い出した。アグネス批判は、職場では100%の職業人を、家庭では100%の家庭人を、そのどちらもハンパにすることは許されない、と言ったのだ。浜田さん自身「私たちの世代はゼロか百かの働き方しかなかった」と言う。それが男の職業倫理だったかもしれないが、一歩外に出ればあたかも家庭がないかのようにふるまえる男の背後で、いったい誰が家庭を支えてきたのか、わたしは問うのだが、この時期に職場に出た総合職の女性たちにとって、働くことは「男並み」に働くことを意味していた。
 浜田さんにそれが可能だったのは、育児に積極的な夫だけでなく、祖父母の力があったからだ。彼女は実家の両親を呼び寄せて同居した。主婦付きの暮らしを享受する男性に対して、働く女性は「わたしだって主婦が欲しいわよ!」と叫んできたのだが、一部のキャリアウーマンには、実家の母という「主婦力」がついていた。
 本書から感じるのは、均等法一期生の働く女性の痛ましさだ。働きぬいて管理職に到達した彼女たちを見て、後輩の女性たちはこう言う。「浜田さんのように働かれると迷惑」、私たちのロール・モデルにならない、と。
 彼女の罪悪感は、屈折している。娘に「お母さんはわたしより仕事が好きなのね」と言われて罪悪感を感じない自分に罪悪感を感じる、と。働く母は子どもより仕事を優先することで、彼らが責められることはあるだろうか?「そうだよ、パパは仕事が大好きなんだ」と答える父を子どもは誇りに思うように、母も「そのとおりよ、ママは仕事が大好きなの。あなたも大きくなったら、大好きになれる仕事をしなさいね」と言ってはならないのか。
 浜田さんは仕事が与える最大の報酬は達成感であり、これは子育てでは決して得られない、と断言する。子供の人生は子どものもの、子どもが何かを達成したからといって、親の達成にはならない。働く女たちが、もっと大きな声でそう言ったらいい。達成感とは自分の成長の喜びや承認を満足であり、仕事が好きとはつまるところ自分か好き、ということだ。子どもより自分が大事。男はとっくにそう思っているのだから、女がそう思って悪い理由は何もない。そのことと、世界でいちばん大好きなのはあなたよ、と子どもに伝えることとは少しも矛盾しない。そして母親が「自分を生きる」自由を持つことは、子どもの人生を自由にするはずだ。